資格取得の意義
相互フォローしている方が以下の様に呟いていた。
もうCloud Licenseかクラテクか使うか……? いやうーーーーーーん流石に最後の手段だよなあ そっちに手を出したら自分のなかで資格取った意味が薄くなる でも受かりたいよ もう落ちたくない うう
— もけ (@m_k__77) April 5, 2026
私は今、AWS全冠を目指して学習を進めているが、
学習は基本的に(というか100%)、Cloud License頼りだ。
このまま、全冠を達成したところでAWSで何かを作れる気はしない
(AIに依頼をして作ることはできるだろうけど…)
ちなみに、このTweetに対して、「物申す!」だとか、「憤りを感じています!」だとか、そういう意図はないので安心してください。
基本情報に2回落ちたときに気づいたこと
実は新卒1年目に、基本情報に2回落ちた。
当時の勉強方法は「ひたすら参考書を書き写して理解する」という方法だった。
あの頃の自分はやる気に満ち溢れていて、
アホなりに「きちんとした知識が欲しい」という熱い想いがあった。
2回落ちたあと、3回目の受験時に「過去問道場」の存在を知り、
ひたすら過去問を解いていたらすんなり合格してしまった。
同じ様な勉強方法で応用情報は、ついに参考書も買わずに合格してしまった。
資格のための勉強
正直、IT資格を取ったからといって自分の技術力が上がるわけでもなかった。(当たり前だけど)
世間の言う「IT資格なんて意味ないよね」というのも一理あると思う。
私が思うに、技術研鑽と資格取得の勉強は全くの別物だし、
その意義も別だと思う。
誰のための勉強か?
持論だが、
「技術研鑽は自分のための勉強で、資格取得は他者のための勉強だ。」
本来であれば、技術研鑽を続けるのが技術者としてあるべき姿だと思う。
だがしかし、技術力というのはなかなか他者には伝わらない。
例えば、私は結構シェル芸が得意だ(と思っている)。
洒落たワンライナーを作ることができるし、ログ調査はかなり上手いと思う。
AIへのプロンプトも作りも得意だし、資料を作るもの結構上手い(と自分では思っている)
料理を作るのは上手いし、子供の相手は上手い。
運転も運動も得意だ。
しかし、「俺はこんなことができるぞ!」と言ったところで結局、誰にも信じてもらえない。
誰かに「俺はこんなことができるぞ!」とアピールするための手段が「資格」だと思う。
開き直り
長々と書いたが、言いたいこととしては、
「自分は資格取得のための勉強と技術研鑽は別物だと思っているので、今は資格勉強のための勉強をしています。」ということだ。
テクニックや暗記で受かろうが、合格は合格だし、
いくら技術力や実績があろうが、不合格は不合格だ。
全く別物だと思っているから、
該当Tweetを呟いている「もけ」さんも、技術研鑽とは別に資格対策をしても良いとは思うが、
若い方の熱い志に水を差す気はないので、「おじさん応援しているね。」という薄ら気持ちの悪い言葉で締めたいと思います。
おじさん応援しているね。
以上。





